地方創生:帰省がてら岩手県一関市の様子を見てきました。

一関駅前通り Information
空洞化が進む一関市街地
一関市 時の太鼓

一ノ関に過ぎたるもの2つあり、「時の太鼓と建部清庵」の「時の太鼓」です

岩手県一関市は人口は約11万人。岩手県盛岡市と宮城県仙台市のちょうど中間地点に位置し、東北地方の中の真ん中ほどに位置している地方都市です。東京からのアクセスもよく、新幹線で最速2時間弱でアクセスできます。

私が一関市で暮らしていたのは、40年ほど前まででしたが、その頃、市の中心である大町商店街には多くの人が買い物に来ていたものでした。その後、東北自動車道開通、東北新幹線開通などの経て、平成12年に大規模店舗立地法が施行。郊外に当時のSATY(現在はイオン)が出店。東北自動車道一関IC付近に郊外型商業施設が続々と登場しました。毎年、帰省するたびに、郊外に商業施設が増え、それに反比例して市街地に空き店舗が増えていきました。

一関市が現在の形になったのは、平成17年(2005年)の対等合併によるものでした。隣接する平泉町は、合併の直前に破談になったことを記憶しています。
今回の帰省では、一関市役所に伺って、一関市立の使われなくなった保育園、小学校などの施設を視察させていただくためでした。廃校になってまだ一年ちょっとの小学校2校と3年ほどの保育園を見てきましたが、いずれもまだまだ現役で使える施設でした。

このような取り組みは、全国各地で行われています。地方都市も若者や子育て世代に定住してもらえるような施作を色々と打ち出してはいます。それでも、地域に「働く場所」がなければ、その街で暮らすことはできません。一関市では、一ノ関駅の近くにあったNECや日本製紙系だった北上製紙がなくなり、膨大な跡地が残されています。一関東工業団地は完売で、第二工業団地も作られていますが、そのような第二次産業に加えて、大学を卒業して「一関に戻って働きたい」と思ってもらえる、魅力的な「働く場所」を提供しなくてはならない状況であることは、市の職員の方達のお話を聞いていても、ひしひしと伝わります。

私は40年、東京とその近郊(2年ほど御殿場市に住んでいましたが)で暮らしていますが、故郷の過疎が進行していくのは寂しいものです。これから一関市の情報発信をしつつ、一関と何かをしたい、一関で何かをしたいという方達に出会えらば嬉しいなぁ、と思っています。

改めて、一関はいいところでした。